23歳まで田んぼに入ったことが無い私が山北町で稲作を始めた理由

稲作

私のしごとの一つ、稲作。

日本の主食として未だ君臨する米。とはいうものの、日本人の年間一人当たりの米の消費量は1962年の118kgをピークに、2016年には54kgと、その消費量は半分に。主食の多様化、確かに米以外にもおいしいパンは沢山あるし、麺とかも食べますよね。

また、稲作が行われる田んぼの数も年々減っています。稲作農家に限らず農業全体で「後継者不足」という問題が表れています。山北町やその周辺ではその多くの田んぼは放置されるわけではなく、宅地になっていきます。昔あったような「田んぼのある風景」が失われつつある傾向があります。

そんな日本の状況の中、私が田んぼを始めたことについて書いていきます。

稲作を始めた経緯

私は岩手県盛岡市の出身。岩手もなかなかの米の生産地。しかし、私は大学を卒業するまで作物の栽培を経験したことはありませんでした。小学校の頃、トマトを辛うじて育てたくらいでしょうか。

そんな私が大学を卒業して山北町に移り住んだあと、田んぼをやらない?という誘いを受けることになりました。この時まで正直田んぼに入ったことは一度もありませんでした

「小田原足柄異業種交流会(おだあし)」という組織

山北町 (株)トヤマで行われたおだあし新年会

大学卒業後、小田原に本拠を構える「Desture」というパンの販売とパブを運営するお店で働きだした私。私は山北町での営業を担当していました。そこで働く中で、小田原足柄異業種交流会という組織(通称おだあし)とのかかわりが始まりました。

おだあしという組織は良い意味でゆるいつながりの中、小田原市とその周辺の足柄地域の交流を促進し、地域活性化につながるような活動を生み出す、ハブ的な存在を担っている組織です。

事務局や会長も置かず、数名のコアメンバーにより、会は取りまとめられています
おだあしでは毎年、主に2回イベントを開催しています。

おだあし新年会

毎年1度、小田原・足柄地域で新年会を行っています。毎年100人以上の方が参加します。毎年開催場所を変えることで、足柄地域にある各町村と、事業者・生活者が繋がる機会になっています。狭い地域ではありますが、新年会を行う度に知らない人や、この地域で起きている面白いことに出会えます。

私も大学在学中にこの新年会に参加しました。その後、「コアメンバーに入らない?」というお誘いを受けるわけでもなく、ゆる~く運営の方に参加させて頂きました。このゆるさがおだあしの良い特徴なのだと思います。

おだあしは、小田原足柄地域で事業を営む方が多い傾向がありますが、主婦や普段は企業で働くサラリーマン、政治家、行政職員等、多種多様な人々が集まっています。

おだあし田んぼアート

2018年は山地酪農スタートの年ということで、牧場長の島﨑さんと牛を描いた

小田原市の国府津の田んぼで2011年から行われていました。毎年様々なテーマのアートを田んぼに浮かび上がらせます。

田んぼアートとは、田んぼに品種の異なるイネを植えます。イネは品種により葉の色や穂の色が変わります。その色の違いを計算して、測量を行い、田んぼをキャンバスに絵を浮かび上がらせるのです。

私がコアメンバーとなり、山北町に住んでいるということから、「田んぼアートを山北でやらないか?」という案が浮上しました。農地の確保等、課題は沢山あったのですがスムーズに事が進んでいき、翌年には田んぼアートができる体制になりました。場所は山北町の谷峨。酒匂川のそばに田んぼはあり、夏には涼しい風が抜けるような、非常に気持ちの良い場所です。

「おだあし田んぼアート」で田んぼの管理をスタート

田んぼの管理、と言っても、勿論私は稲作はやったことがありません。まったくの初心者です。そこで、おだあしのコアメンバーで米屋を営み米農家でもある志村さんという方から田んぼについて一から教えて頂きました。志村屋米穀店というお店を営まれています。

一から教えていただくとはいえ、知識もなにも無い私にとってはさっぱり…でしたが、とにかく私がしっかり管理しないと、田んぼアートが完成しないので、その使命感のもとで必死に勉強して管理に励んでいました。

また、田植えと稲刈りの時には100人近い参加者の方々に来ていただきました。田んぼアートのテーマは毎年変えており、1年目は山北町が水源地であるということに着目し、「OUR WATER SOURCE(=わたしたちの水源)」という字を浮かび上がらせたり、山北で町おこしとして保存している機関車を描いたり、山地酪農の絵を描いたり、様々です。

参加される方はアートにかかわって頂くことで、アートそのものを見て楽しんでいただくだけではなく、山北町の魅力にも気づいて頂けていたかなと思います。

イネは強い植物

農業は人間が手をかけることにより、おいしい生産物をたくさん供給するのが1つの目的です。人間がどう手をかけるかという要素のほかに、自然とどう付き合うかという要素も極めて重要かと思います。天気は人間がコントロールできませんし、イネの声ははっきり聞こえてきません。しかし、イネは植物。生きようとしています。

私が思ったより、イネは強かったです。雑草が生えてきても、肥料が少なくても、枯れることはありません。イネを信用することは大事です。自分が手をかけて作りあげる!というのは基本的な考え方ですが、自然と付き合いながら、イネの生育を手助けする、という謙虚な考え方も必要かなと思いました。

農地辺りの生産量と品質を上げ、利益を最大化するという農家的な考えには反していますが、私は米を作り売るのが生業ではないので、そう考えています。

2019年からは「ほぼ」私が主体でイベント運営

田んぼアートを2016年から3年間継続して行いました。そして2019年。転機が訪れます。

田んぼアートが終了となりました

そして、今度のイベント・田んぼ運営に関してはほぼ私に任せるという体制になりました。

田んぼアートは非常に手間がかかります。品種の異なるイネを植えるところにはマークを打つのですが、毎回測量を入れて、まる2日ほどかかってしまうほど。また、間違えて植えてしまうと絵が分からなくなってしまうということで、省力化を図りました。

田植えの体験を通じて、美味しいお米を食べる。食や農にもっと親しみをもってほしい!ということで「おだあし百人たんぼ」と銘打ち2019年からはイベントを実施しています。

高校生に稲作を教える授業を受け持っています

基本的に田植え・稲刈りはイベントとして実施し、百人以上の方に来て手伝って頂いていますが、田んぼでのしごとは田植えと稲刈りだけではありません。草取りとか、色々あるのです。

2019年から、山北町三保にある「鹿島山北高校」という通信制の高校で授業の一環として、田んぼの体験を提供させて頂いています。

田んぼでの草取りの体験は、なかなかできない労働の1つだと思います。
毎度、くさ~いだとか、きもちわる~いみたいな声をかなり頂きます。

ただ、田んぼに入る機会、そもそも農の関わる機会が少ないのも事実。
なかなか厳しい体験を提供していますが、少しでも印象に残ってくれればいいなと思い、続けています。

稲作を始めた理由=おだあしという組織との出会い

私はおだあしに出会っていなければ稲作は行っていなかったでしょう。
本当に田んぼには一度も入ったことは無かったですし、農業にも興味は無かったです。

稲作を始めたことによって、色んな興味が広まりました。
田んぼをやっているからか農家の方々からは色んなお話しが聞けるし、イネ以外の作物もチャンスがあればやりたいな~とか。高校生に稲作についてレクチャーするのも徐々に楽しくなってきました。

来年も再来年も、毎年少しずつモデルチェンジして、皆さんと楽しく続けていきたいです。

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