私が神奈川県山北町に移住した理由

地方移住 U・Iターン

私は2016年に大学を卒業して、すぐに神奈川県の山北町に引っ越しました。
この記事では私の移住について書いていきます。

移住の動機

移住の動機は色々ありますが、掻い摘んで紹介します。

色んな方、特に移住を考えている方などと話すときに、「山北町のどういうところが好きで移住されたんですか?」なんて聞かれたりしますが、自分は決して好きでこの地域に移り住んだわけではありません。面白いまちであることに変わりはありませんが。

最大の理由は好奇心 無くなる地域と無くならない地域

私の移住の動機は、好奇心。現在住んでいる共和地域という場所は、人口180人ほどの小さな村(この表現については後述)。私が学生として地域と関わり始めたころ思ったことは、「なんでこんな住みにくい場所に人が住むんだろう、普通に考えたらこの地域はあと20年もすればなくなるんだろうな」と、思っていました。

まず、共和地域にはお店が無いので、基本的には車で買い物に行くことになるのですが、免許の返納を求められる昨今において、免許を返納された高齢者やそもそも免許を持っていない人は買い物難民になります。

あとは駅まで遠かったり、その駅も電車が1時間に1本しかなかったり、若者にとって遊んだり買い物をするところもなかったり、ただでさえ少子化が進む日本において、この地域に住まないという選択をする理由はいくらでも挙げられます。

一方で共和地域では自治会活動のほかに、交通難の解消のために自治会員が限定で乗車できる福祉バスを運営したり、町外からお客さんをもてなし地域振興を推し進めたりと、非常に活発な地域。この地域を無くしてたまるかという勢いが垣間見られました。

私の第一印象では十中八九この地域は無くなると思っていましたが、
もしかしてこの地域は無くならないのでは?と思い始めました。

この地域が無くならないために、自分にできることはあるかもしれない。
またこの地域が無くなってしまった場合、どのようにして無くなってしまうのか。

若干怖いもの見たさという感もありますが、そんな好奇心が私を突き動かしました。

地域が無くなるというのは、人が住まなくなること。
地域内での経済活動の一切が行われなくなることだと考えています。

豆知識 「共和は村」とはどういうこと?

共和地域は現在の住所では神奈川県足柄上郡山北町皆瀬川・都夫良野等が含まれるのですが、1955年に山北町と合併がされたばかり。この時まで共和は「共和村」として存在していましたが、山北町と合併する道を選びました。

当時合併されたのは共和村だけではなく、清水村、三保村、北足柄村の一部(大字平山)がくっついたことで、現在の山北町が誕生しました。

当時まで各地域はそれぞれの村だったわけで、合併がなされた後も各村としての意識が強く残っています。

それにまつわる話を一つ。

山北駅や川村城址の周辺は山北町の「山北」と言われています。
私は今、「山北町の共和」に住んでいます。

山北町の駅周辺で地元の方と、「山北にこのあいだ越してきたんですよ~!」と話し、

「山北のどこに住んでいるの?」と聞かれ、

共和です!」と答えると、

山北じゃないじゃん!共和じゃん!(笑)」といったような対応をされる方もいます。

それと同様、共和の方々はよく「共和はいいとこだよ~」といいますが、
「山北はいいとこだよ~」という意識は薄いと思います。あくまでも共和なんです。

これまで村だった地域は村であり、山北町共和・三保・清水などはあくまでも自治体として山北町に属しているというだけです。若干極端な意識的な話ですが。

山北町はまとまりが無い町だ!と言いたいわけではありません。

一つの町に、色んなルーツや意識、産業や景色がまるで異なる場所、故郷を持つ人が存在しているというのは凄く面白いことだと思います。町として非常に奥行きと深みのある、資源を抱えている素晴らしい場所だと思っています。

好きな地域と住みたい地域の違い 

色んな方から「山北町のどういうところが好きですか?」なんて聞かれて、色々答えますが、移住先を探している方からこの質問が来た時に毎度言うことは、「私は決してこの地域が好きで移住したわけではないですよ」ということ。勿論山北は大好きですが、順序が逆です。好きだから来た、というわけではありません。

面白そうだなって思い、移住してきて、だんだん好きになっていったっていう話です。

好きだからという理由だけで山北に来るな!と言いたいわけではありません。
地域を好きになるというのは、その地域へ遊びに行きたいという動機にもなる、大切な感情の一つだと思います。移住の動機になる芽のようなものですかね。

私が山北町に移住した経緯

大学2年の時に「地域プロジェクト演習」という授業がありました。この授業では自治体や企業、団体などから地域振興に向けた課題を提示され、学生がグループを作りそれぞれ課題解決に向けた改善案を提起するというプロジェクト。

最初に山北町共和に行きたくなった理由

その授業の初回に各団体からプレゼンがありました。
みなそれぞれ「我々の地域はこんな課題があります!やばいです!学生さん助けて!」という雰囲気。

ただ、際立った団体が一つ。
私が今住んでいる共和地域で運営されているNPO法人共和のもりです。

なんとプレゼン当日は共和地域からはだれも来ないという有様。ただ、資料を渡されるだけ。
学生ながらも信じられんと思いつつその資料に目を通すと、「限界集落」や「森林の荒廃」、「人口200人」といった、熱のこもったプレゼンをも打ち負かしてしまうようなパワーワードがちりばめられていました。

私はそのワードと、プレゼンにだれも来ないというゆるさに心を打たれ、共和に行ってみようと決めました。

そのプロジェクトでは地域の観光振興についていろいろと活動をしました。

地域住民を巻き込んでのワークショップを実施したり、ゲートボール大会に参加したり、遊びに行くように地域に通い、プロジェクトを進行させました。

最終的にはこんなマップも作りました。

プロジェクトに関してはこちらの記事にもまとめてあります。

学生さんなんかは見てみると面白いかも↓(近日公開予定)

卒業を控えて

普通は就活をするのですが、私はしませんでした。共和でなにかできるかな~という漠然とした好奇心が、就活をしなければならないという義務感を上回りました。

よし、山北に行こう。

と思いました。共和地域でなにかをやりたいということ以外にも、山北町の諸地域の持つ奥行きのようなものに、この時期気付きました。

ただ、行こうと思ったのは良いもののある程度の稼ぎが必要です。
山北町内の求人はぼちぼちチェックしていましたが、さっぱり出ていません。
町役場は出ていましたが、ちょっと合わないかな~なんて思っていました。

しかし、なんとかなりました。

当時山北でお店をオープンさせたいというDestureというお店が文教大学にパンの販売に来ていました。
私は山北町でのしごとを必死に探していました。ここで利害が一致しました。

私はそこに雇われ、山北町内での営業を任されることになりました。
これで働き口はなんとか確保できたというわけで、移住が決定しました。

仕事が決まったからといって移住が叶う訳ではありません。次は住む場所が必要です。

地方移住者にとってのハードルでもある、家探し。空き家はいっぱいあるのですが、大家さんが貸しに出していなかったり、そもそもすぐに住める状態で無かったりと、色々あるんです。

しかし、これに関してはすぐに解決しました。

私と同時期に共和地域に引っ越したい!という方が偶然居て、その方々とシェアハウスに住むことになりました。

田舎の家はとにかくでかいです。もう、言っちゃいけないんですけど、無駄にでかい!
シェアハウスという形だと、部屋を持て余す必要もないし、家に一人でいても寂しさは紛らわせます。
地方にこそ増えるべきだと思います。

これにて、私の移住が完了しました。

地方移住を考えているあなたへ

私の移住した経緯はあまり参考にならなかったと思いますが、

最後に二つだけ、移住を考えるあなたへメッセージ。

首都近郊移住のすすめ

移住と言いますと、中国地方の山奥や、四国の山村、離島など、首都圏から遠く離れた田舎に住むイメージだと思います。

私が移り住んだ山北町はちょっと違います。ぎりぎり神奈川県。行こうと思えば東京にだって行けます。

移住の在り方も多様化しています。余生を田舎で…というモデルから、徐々に田舎での起業や地方ベンチャー、地域おこし協力隊等での自己実現、地域活性化という動機のもとでのU・Iターン。北海道や長野といった人気移住先も健在ですが、中国地方や四国、離島も最近熱く、あらゆる自治体で移住受け入れの施策を講じているのではないかと思います。

山北町の移住は「首都近郊移住」で、自分のライフスタイルには非常に合っています。
千葉の房総、埼玉の秩父方面なんかも山北と地理的状況は似ています。

都内まで2時間ほど、居住地はド田舎だけど、都会にもすぐ出れちゃう!自然もいっぱい!いいとこどり。

勿論、都内まではそれでも2時間はかかりますので、通勤通学は大変なはずですが、仕事も山北町内で、たまに遊びに横浜辺りまでしか行かない私にとっては、こんなに良い居住場所はないです。

この地域が好き!は人を盲目にさせる?

前述のとおり、私は漠然とした好奇心のもと、この地域に来ました。また、移住先を探しているときに見える地域と、移住したときにみえる地域の景色ははっきり言って全くと言っていいほど違います。これは良くも悪くもです。

この地域があなたに合うか合わないかは、あなたしか判断できません。
日本という国では居住移転の自由が規定されています。

恋は人を盲目にするなんてよく言われますが、移住先選びの時もこれってあるんじゃないかなと思います。勿論生活がかかってきますので、恋よりは慎重になると思うんですけど。

なにが言いたいかって言うと、この地域が好き!って動機だけで移住しない方がいいですよ、っていう話です。

好きだけで移住した地域をもっと好きになればよいのですが、何かの間違いでその地域を嫌いになってしまったら…

たまーに移住を受け入れる地域側がおかしい!とか、考え方が古い!とか自治会活動がめんどうすぎる!必要ない!みたいなことを書いているメディアがありますが、こういう方々は単に地方や田舎と呼ばれる場所が合っていない人たちだと思っています。地域との相性、その人の適正・性格は地方移住で極めて重要だと思います

まとめ 私が移住を決めた3要素

  • 地域との出会い
  • 好奇心
  • 働く場所と住む場所

これに尽きます。

移住に関して、私の住む町に関しては今後も記事にしていきたいと思いますので、よろしくお願いします!

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